1987年6月近畿ロード(鈴鹿サーキット20周・120km)
その春から入った大学へは、
なるべく自転車で通うようになり、
(片道35kmほど)
自脚ができてきました。
大集団はスローペースで、
序盤から何度もアタック!
私なんぞの無名選手が逃げても、
集団は本気で追いかけてきません。
そんなのが数人集まって、頑張って逃げるも、
空気抵抗に負けて集団へ吸収され、
の繰り返し。
(高専3学年下の後輩とも逃げたり)
で10周目、まあまあ逃げるも、
脱落者続出で二人ぼっちに。
相方はアラヤレーシングのジャージ着てるも、知らない選手。
“このまま二人では逃げきれまい。"
と判断し、踏むのをやめてしまいました、私。
その後は大集団内で体力温存するも、
逃げ出すチャンスもなく、
集団ゴール勝負へ参戦。
60位くらいという、ごく平凡な結果でした。
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なお、高専後輩はレース後半も果敢に逃げを試みるも、全て不発。
ペースが上がった最終周回・ヘアピンカーブ(上り)で脚が攣り、脱落。
『先輩〜、あしつった〜、も〜あかん〜!』だかの、
叫び声を聞きました。
(最終盤でなければ、私もペース落とし、
あとから二人で集団を追走したかもしれませんが、
こんときは見殺しにしました。)
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数ヶ月後、自転車雑誌をみたら、
全日本で勝っとる?!
あの一緒に逃げた、
アラヤの成田 加津利 選手が!
(近畿ロードの1ヶ月前、中距離種目で)
成田選手はその後も全日本などで優勝を重ね、競輪へ転向後は100賞以上した、
偉大なお方です。
その後は石川へ戻られ、自転車屋さんに。
数年前、
“ツール・ド・のと"のメインスタッフとして、NHKのTV番組・チャリダーに出演されてたのを観て、思い出しました。
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しかし、私、失うもんもないクセに、
何を躊躇したんでしょうか?
もちろん逃げ切れる可能性は高くはありませんでしたが、
そこで全力出し切らなきゃ、どうすんねん?!
悔やんでも悔やみきれん!
以降、自転車に限らず、余計な打算はせず、
万事、全力でコトに当たるように心がけています。