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初鈴鹿では大失態

ロードレーサーに乗り始めて10ヶ月め、

本格的なレースへの初参戦は、

120kmのアマ車連登録者レース・近畿ロード!

 

近畿の実業団員、クラブチーム員、大学生、高校生が

一斉に300人以上出走するビッグレース。

 

当時はシマノ、サンツアー、スギノなど、

自転車部品メーカーの実業団全盛の時期で、

この近畿ロードでは、

いろんな種目の日本チャンピオンらと競いあうカタチでした。

 

16kmを周回遅れになれば失格!

 

私が入った大阪の有力クラブチーム・イトーレーシングからは11人も参加。

 

例年、クラブ員の完走率は半分程度、とのことで、

まず経験を積むため、実力不足を承知でのエントリーでした。

 

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で、走り始めてみると、300人の大集団は平均40km/hの高速で超高密度!

(他ライダーとの間隔は

左右10cm以下、前後50cm以下)

 

自分の真ん前、5人前のヒトが落車しても、

避けるとこなくソコに乗り上げるしかありません。

(落車したヒトと自転車が"蟻塚"のような、かたまりになる。)

 

もしムリに避けると、

今度は自分がいちばん下敷きで落車することになります。

 

集団の中段以降はカーブのたびに減速・加速を強いられました。

(集団内でも後ろになればなるほど、減速・加速がキツつくなります。)

 

たいした登り坂がないので、脚力による分断は、なかなか起こりません。

 

それでまた、高校生の自転車操作が 下手くそ なこと!

(自分もですが、)

予測不能な動きが落車を招き、肉弾サバイバル戦と化していました。

3割以上のヒトが落車してたかも)

 

 

私はというと、

序盤から、高密度な大集団中段以降で、大苦戦を強いられていました。

「おもうように変速できない!」

私のロードレーサーはフレームのダウンチューブの

前後の変速レバーがついている、トップマウント式でした。

片手で前後とも変速操作ができる当時の最新式です。

(従来のはダウンチューブ左右側面にレバーがあり、

左手では左レバー()、右手では右レバー()しか操作できない。)

 

私、当時はもっぱら左手で前後の変速操作をしていました。

 

が、近畿ロードでは、フレーム前三角の前に車番プレート取付ルールあり。

そのナンバープレートがトップマウントレバーを左右に仕切り、

後変速は右手で操作せねばならない事態に!

 

当時の下手くそな私は、

高密度集団・真ん中では、ハンドルから利き手(右)を離すのは困難で、

密度の低い集団・後ろの方で変速操作をすることに。

 

途中落車にも遭い、10周目にして大集団から脱落。

14周目まで独走して、ラップされる直前にリタイヤとなりました。

 

あれ?

チーム員、誰も降りてないやん?!

 

なんとそのレースはまれに起こるイージーな展開で、

アタック合戦などで集団が分断されるのが遅く、

私以外の10人はきっちり完走!

 

まあ、圧倒的な脚力不足だったのですが、

 

たいへん悔しい思いをしました。

 

 

 

で、失意のままパドックへ戻る途中、コントロールタワー裏で、

まずありえない再会が!