初陣・近畿ロード、リタイヤが非常に悔しくて、
4週後の西日本実業団ロード・ジュニアの部にむけて、
朝晩、あらん限りの練習、努力を重ねました。
【いま思い返すと、たいへんに非効率的で、
身についたのは“根性"だけかも。】
[まさか、通ってた学校のサイクリング部(文化部)に競技志向の同級生がいると知らず、
高体連でなく、実業団登録で選手活動してました。]
(当時、インターハイ種目には個人ロードなかったし。)
ウエイトトレーニングも取り入れ、
故障寸前まで身体を鍛え、
筋肉痛はエアーサロンパスなどでごまかし、
昼夜は身体を休める毎日でした。
出走こそ一般実業団部門と同時スタートなものの、
ゴールまでは半分の10周60km。
(一般の部参加者と一緒に集団形成)
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ときおり先頭交代引きするなど、終盤まで集団の前の方で、積極的に動いたのち、
ゴール1km手前で集団の先頭に立ち、最有力選手をイン側におさえ、牽制状態へ。
スプリント力があるチームメイトが後ろからスパートするのを待っていると、、、
この年からできたシケイン・”カシオトライアングル”の出口でインにラインができ、
そこから最有力選手がスパート?!
焦った私は、1枚シフトアップし過ぎて、、、もがききれず・6位と惨敗!
(チームメイトも3着どまり)
団体(チーム3人のうち2人の順位)優勝まで逃してしまいました。あーあ。
まあ、圧倒的な脚力不足だったのですが、
(その最有力選手が優勝でした。
翌年にはジュニア選抜で国際ロード出場や
近畿ロードで森さんや市川さんらと
序盤から逃げなど、大活躍されました。
(=私とは格が違う))
にしても、私、
アマ車連の登録者レース 最初で最後の入賞でした。
まあ、前月のレースでは集団に残れなかったのに、
このレースでは集団の先頭引けたり、
ゴールスプリントに加われたりできたのは、
上出来でした。
(ロードレーサー乗り始め11ヶ月、
それまで運動部など経験ナシやったし。)
[当時は競技人口少なく、レベル低かったのです。]